♪校長室カンタービレ♪ 第28号
平成30年3月23日
校長として最初の年であるこの一年間は、本当にあっという間に過ぎてしまったという印象です。振り返りをする余裕すらなく、ただただ目の前の仕事をこなしていたというだけで、反省の気持ちしか湧いてきません。本校の教職員と生徒たちには、申し訳ないという気持ちで一杯です。
さて、この「校長室カンタービレ」は、高校で唯一の音楽科校長である自分にしか書けないものを書きたいという思いから、私の音楽体験をとおした考え方や人生観を中心に書かせていただきました。今年度最後となる今号では、改めて自分自身について書かせていただきます。
私が最もコンプレックスに感じていることは、本当の意味での音楽の力がないということです。音楽の才能がないと言ってもいいかもしれません。
そもそも音楽は、自分の感情を自分なりに表現する手段です。また、記号化した楽譜というものが存在しなかった時代、音楽は耳から伝わってきたものを再現し、それを後世に伝えていました。私がいつも羨ましく思うのは、楽譜がなくても音楽を聴いてその場で再現してしまう人、自分が思ったとおりのことを楽譜なしで表現してしまう人でした。残念ながら私にはそんな能力はありません。なぜあんなことが簡単にできてしまうのだろうという思いと、自分には出来ないことに対する悔しさを、常に感じていました。私が思う音楽の才能がある人とは、楽譜なしで音楽を楽しむことができる人なのです。しかし、そんな才能を持ち合わせていなくても、楽譜を読む力とそれを演奏する力があれば、それなりに音楽に携わることは可能でした。私は楽譜が存在する時代に生まれてきたことを、本当に幸運なことだと感じています。
ただ、私には努力をする才能はあったと自負しています。この努力をする力のみで、これまでの音楽人生を歩んできたと言っても過言ではありません。残念ながら年齢を重ねるごとに努力することを怠るようになってしまいましたが、若い頃にがむしゃらに努力し続けてきたという事実は、私の人生を大きく支えてくれました。そして音楽を通じて出会うことのできた様々な人や出来事が、私の成長を促してくれたことも紛れもない事実です。
発明王エジソンの名言として、「天才は1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。また、大作曲家ベートーヴェンは、「努力は必ず報われる」と言いました。現在では「努力することが最も大切である」という意味で使われることが多いですが、エジソンは「ひらめきがなければ努力しても無駄である」、ベートーヴェンは「努力したものが成功するとは限らないが成功する者はみな努力している」というのが本来の意味です。私のような凡人は、天才が語った本来の意味ではなく、「努力することが最も大切である」と解釈し、そのことを信じ続けるしかありません。努力し続ける人にはどんな天才も勝てないという意味で、「努力に勝る天才なし」という言葉があります。私はこれからも、努力は人を成長させ新たな気づきを与えてくれることを信じ続けたいと思います。
最後に、私の拙い文章を一年間お読みいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。来年度も邇摩高校をよろしくお願いします。