♪校長室カンタービレ♪ 第43号
平成30年12月3日
前号で取り上げた「能楽」は、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。無形文化遺産とは、各地域で長い時間をかけて受け継がれてきた伝統や慣習などの文化を、保護すべき遺産として認定する制度、およびその制度に基づき認定された文化のことを指します。人工的あるいは自然を問わず、目に見える形で残っている物を保護する「世界遺産」とは異なります。日本の世界遺産には、石見銀山遺跡や姫路城・厳島神社などがあります。無形文化遺産には、能楽の他、雅楽・文楽・歌舞伎・和紙製造技術・和食文化などが登録されています。つまり無形文化遺産は、社会的慣習や行事、芸能、口承で伝えられてきた表現など、形のないものを対象としているということです。
実は音楽も、もとは「音を耳から伝承するだけの形のないもの」でした。つまり、人の演奏を聴いて記憶し、記憶したものを演奏することで人に伝えるという、言わば伝言ゲームのようなものだったのです。これでは人の記憶次第で正確なものは伝わりませんでした。しかし、それを大きく変えたのが「楽譜」の発明です。耳でしか感じられない「音」を、目で見える「記号」として表現したものが「楽譜」なのです。同じような人類の発明として「文字」を挙げることができるかもしれません。
楽譜が誕生したのは、紀元前2世紀頃と言われています。何となく音の高さを表すだけの「文字譜」だったようです。その後、古代ローマ帝国の勢力拡大に伴い、キリスト教がヨーロッパ各地に普及します。キリスト教は聖歌と呼ばれる音楽を大切にしていたため、何らかの形で聖歌を記録に残すことが迫られました。そこで考案されたのが「ネウマ譜」と呼ばれるものです。
初期のネウマ譜は、聖歌の歌詞の上に小さな点のようなもの(ネウマ:ギリシア語で合図という意味)を書いて音の高さをわかるようにしたもので、楽譜というよりは覚書メモ程度のものでしかなかったようです。やがて、基準となる音を定めて、それより高いか低いかがわかるように1本の横線を用いるようになります。さらに正確な音高を示すために、横線が2本、3本と増えていったと考えられます。そして11世紀頃には4本線になったと言われています。ネウマ譜には明確な音の高さが記されている一方で、音の長短の表記は不明確でした。この欠点を解消するため、音符の形で区別し長短(リズム)を表記した「定量譜」と呼ばれるものが13世紀に登場しました。その後も様々な改良が加えられ、現在のような五線譜が完成したのです。現在の記譜法になって何百年もたちますが、変わることなく使われています。楽譜の存在が音楽の発展に寄与したことは言うまでもありません。
そして、15世紀後半にグーテンベルクによって活版印刷が開発され、楽譜が機械で印刷できるようになりました。大量印刷によって楽譜を安く手に入れることができるようになり、社会全体に音楽が広がっていったのです。
これらの五線譜は、一般的に西洋音楽で使われますが、日本の伝統音楽の楽譜は、ギターやベースでお馴染みの「タブ譜」に近いものが使われ、楽器固有の奏法を文字や記号で表すことが多いようです。