♪校長室カンタービレ♪ 第31号
平成30年5月15日
リラックスしたい時や就寝する時にBGMを流す人は多いと思います。また、一人で仕事や勉強に集中したい時にBGMを流した方が、効果が上がるという人もいるかもしれません。
私は、基本的にどんな状況でもBGMを流すのは好きではありません。それは、音楽が流れていると、その音楽に集中してしまうからです。つまり、自分の脳が、音が鳴っていてもその音を意識していない時は問題ありませんが、一旦その音に意識が行ってしまうと、そればかりが気になってしまい他のことに集中できなくなるのです。私は、その音楽を聴きながら旋律を頭の中で楽譜にしたり、コード進行を頭の中で考えたりしてしまいます。一種の音楽病と言えるかもしれません。ただ、音楽教員をしている時はまだ良かったのですが、管理職となり少しずつ音楽から離れてしまった今、正確な音をなかなか聴き取ることができない、頭の中ですぐに楽譜にできないことが増えてきました。こうなると、自分に対する苛立ちが起こり、むなしい気持ちになってしまいます。流れている音を何となく聞き流すことが、私にはできないようです。
ここで、日本語の「聞く」と「聴く」の違いについて述べます。
辞書には、『「聞く」は音を感じ取る。自然に耳に入ってくる。「聴く」は聞こうとして聞く。注意してよく聞く。』と書いてあります。
つまり、意識せずに何となく「きく」場合は「聞く」を使います。たとえば、お店などで流れているBGMは多くの人の耳に入りますが、ほとんどの場合は意識しないことが多いはずです。ただ単に「きく」場合は「聞く」と表記するということです。しかし、同じBGMでも好きな曲や気になる曲が流れると、耳を傾けたくなります。このように、注意深くあるいは進んで耳を傾ける場合には「聴く」と表記します。「聴く」は、意識して対象の音を感じ取ろうとすることを意味しているのです。
私が一人の時でもBGMを流さないのは、「聞く」という行為から「聴く」という行為に自分で移行してしまうからかもしれません。こう考えると、自分は本当の意味で音楽を楽しんでいるのだろうかと疑問に思ってしまうこともあります。
話は逸れますが、私の家族は私の前で鼻歌を歌うことを嫌がります。それは、今の音程は低かったとか、調(キー)が元の曲と違うとか、少しリズムが甘いとか、私がすぐに指摘してしまうからです。ただ鼻歌を歌って楽しんでいるだけなのに、そんな注意をされたら誰だって嫌になりますよね。指摘した後は自分でも嫌になります。
最近よく考えます。自分は本当に音楽が好きなのだろうか、音楽をただの教育手段としてしか捉えていないのではないか、音楽を語る資格が自分にあるのだろうかなど。とは言え、自分には音楽しか語るものがないことも事実です。少なくとも私の家族以外には、あまり口うるさくしないように心がけます。